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納豆からみる発酵食文化【vol.1】始まりは偶然?!発酵食品の代表格・納豆が生まれたきっかけ

皆さん、「納豆」はお好きですか?

納豆ときくと、関西の方はあまり食べないイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

とある新聞のコラムでは「納豆は関西人の嫌いな食べ物の代表」と書かれていたりして、どちらかというと食べる習慣が少ない食材と思われがちですね。

総務省統計局の家計調査の結果(平成27~29年平均)によると、福島市・盛岡市・前橋市が上位3位を占めている一方で、京都市は全国39位、大阪市は全国47位となっています。

とはいえ、京都出身の美食家・北大路魯山人は、納豆のお茶漬けや納豆雑炊が好きだったそうなので、一概に関西人は納豆が嫌いとは言えないですよね。

「手間をおしまず練るよう食べるべし」と納豆愛あふれる言葉を残しているそうです。

それにスーパーやコンビニでも、小粒・大粒・ひきわりなど豆のサイズだけでなく、昆布出汁や鰹出汁・合わせ出汁などを使ったタレがあり、味のバリエーションもかなり豊富。

元々、納豆のルーツは関西という説なんかもあり、京北地域では、納豆をお餅で包んだ「納豆もち」を食べる習慣があるほど。

匂いが強くないものも発売されていて、関西人が納豆を好きではないなんていうのはもはや都市伝説では?!という気もします。

もちろん美味しいだけでなく、日本の発酵食品の代表格として超優秀なのはご存知ですよね。

普段何気なく食べている納豆ですが、発酵食品としてのパワーを侮るなかれ。

今回は、納豆の奥深い秘密について調査してみました!

始まりは源義家の馬のエサから?

納豆の起源にはいろんな説があります。

いくつか例をあげてみますが、まずは古くは弥生時代。

当時の住居の中には炉があり、床には藁や枯草が敷かれていました。

住居内で豆を煮た際に、床に敷いた藁にいくつかこぼれ落ちてしまった豆が、自然に発酵したのが始まりという説。

聖徳太子が、自身の愛馬にエサとして充てていた煮豆があまったが、捨てるのもしのびないので藁に包んでおいたところ、

発酵して糸をひくようになっていたそうで、食べてみると美味しかったのが納豆となったという説。

平安時代、源義家が東北地方へ遠征したときのこと。兵糧とし大豆を煮ていると敵から襲撃を受けたため、煮た豆を藁に包み馬の鞍にくくりつけて戦いました。

戦いが終わってから、藁を開くと豆が糸をひいていたので食べてみたところ、非常に美味しかったのでこれが納豆となったという説。

熊本城を築いた戦国大名・加藤清正が、朝鮮出兵の際に煮豆を俵に入れて保存したところ、しばらくするといい匂いがしたので開けてみると納豆になっていたという説等々。

納豆といえば水戸が有名ですが、これはどうやら源義家説が関係しているようで、水戸市郊外にあった長者の屋敷に泊まった際に納豆ができたことから発祥の地とされたのだとか。

似たような話は日本各地に存在しており、どれが正解なのか確証はないのですが、ずっと昔から何らかの形で食べられてきた伝統の発酵食品であることはわかりますね。

また、「納豆」というネーミングにも諸説あり、お坊さんが納所(なっしょ:お寺の台所)で作って食べていたことから「納所豆」と呼ばれていたのが略されて納豆となった説や、納所で作られた豆を桶や壺に入れ置いておいたことから「納めた豆」が略されて納豆となった説など様々です。

納豆の種類あれこれ

今、私たちが白ご飯と一緒に食べるのは「糸引き納豆」で、丸大豆納豆とひきわり納豆の二種類に大別されます。

それに対して、あまり馴染みがないのが「寺納豆」です。

塩辛納豆や麹納豆とも呼ばれており、大豆・麦・塩・麹菌でできていて、納豆菌は使っていません。

大豆と小麦と麹菌を塩水に漬け込んで熟成・乾燥させたもので、糸引き納豆のようにネバネバしておらず、出来上がりは黒褐色で、塩味と旨味、コクがある独特の風味が特長。

京都では大徳寺の門前で作られる「大徳寺納豆」や、一休宗純が伝えたとされる「一休寺納豆」なんかが有名です。

この寺納豆、実はお隣の中国から伝えられたという説があり、中国でたべられていた「鼓(し)」という食品が日本にやってきたのがその始まりと言われています。(こちらも諸説あり!)

ちなみに豆を砂糖で煮詰めた甘納豆。

こちらは納豆と名がつきますが発酵はしていませんね。

いろんな説があるとはいえ、共通するのは偶然生み出されたということ。

元々栄養豊富な大豆ですが、納豆になることで、さらにすごいパワーを持つように。

次回は、なんとなく体に良いことは知っているけれど、意外と知らない納豆の力について調べてみたいと思います。

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