COLUMN

甘酒からみる発酵食文化【vol.1】江戸時代の日本人も大好きだった!~100点満点の栄養ドリンク~

こんにちは!はっこまち編集部の工藤です。はっこまち編集部に入って、今までよりだいぶ発酵食品を意識するようになってきました!最近は毎日何か発酵食品を食べるのを習慣化しようと、ヨーグルトや納豆、漬物、酢(リンゴ酢とか黒酢とか)をローテーションしています。

いろいろ試してみて、今のところ私の生活にぴったりきているなと感じるのが「甘酒」です!“はっこまち”さんならばもちろん手作り──というわけにはいきませんが、「朝ごはん代わりに飲むと継続しやすいなあ」ということで今朝も飲んできました。

一度ハマったらとことん!な性格なうえに歴史好きなことが相まって、ついつい甘酒の歴史について調べ始めました。おかげで【甘酒からみる発酵食文化】と銘打って書かせてもらえることになったので、ぜひお付き合いください!

1,300年前から存在していた甘酒

そもそも甘酒は、毎日飲むものではなくて神様にお供えするものでした。例えば、埼玉県秩父市の熊野神社では、氏子たちがふんどし姿で大樽に入った甘酒をかけあい、疫病退散や豊作を祈る「甘酒こぼし」が行われています。これは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が矢で倒した大きな猪が、実はこの猪は山賊で、退治してもらった村人が喜び濁り酒をつくって献上したのが始まりとされています。

京都では、梅宮大社での甘酒祭が有名です。梅宮大社の祭神で酒造の守護神とされる酒解神(さかとけのかみ)の子である酒解子神(さかとけこのかみ)は大若子神(おおわくこのかみ)と結婚し、小若子神(こわくこのかみ)を産み、天甜酒(あめのうまざけ)を造りました。この話から、子宝・安産、酒造にご利益があるとされているそうです。そしてこの「天甜酒(あめのうまざけ)」が、今からおよそ1,300年前に書かれた『日本書紀』いう歴史書に、甘酒の起源として記されているのだとか。

他にも「醴(こさけ)」が応神天皇に献じられたという記述があるのですが、これも甘酒を指すのだそう。甘酒は、かつて「一夜酒(ひとよざけ)」「醴酒(こざけ)」とも言われて神様に捧げる飲み物とされていました。

(ちなみに応神天皇とは「八幡神」として全国各地の八幡宮で祀られています。京都なら、日本三大八幡宮のひとつである石清水八幡宮が有名ですね!)

また日本史や古典の教科書でおなじみの『万葉集』に収められた山上憶良(やまのうえのおくら)の貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)にも登場します。

風雑(まじ)り  雨降る夜の 雨雑り  雪降る夜は 術になく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うち啜(すす)ろひて……

(風が吹いたり、雨が降ったり、雪が降ったりして寒くてどうしようもない夜は、塩を舐めながら糟湯酒をすすった)

この「糟湯酒(かすゆざけ)」が、酒粕からできた甘酒であったと言われています。

暑い夏を乗り越える必需品として人気飲料に

甘酒というと、ホットドリンクとして冬を連想する方も多いのではないでしょうか?ところが、平安時代には夏に蒸米と米麹に酒を加えた飲み物を作ったことが書かれています。また、江戸時代には、元禄10(1697)年の『本朝食鑑』という日本の食物について書かれた図鑑のようなものに「甘酒」が登場します。

他にも『和漢三才図会』という百科事典に「醴」について、「毎六月朔日」つまり旧暦の6月1日に醴を献上したという記述がみられます。当時の6月といえば、今では夏。貧窮問答歌では寒い冬のイメージだったのが、江戸時代には夏の飲み物として認識されていたようです。

また、嘉永6(1853)年、ペリーが黒船に乗って浦賀に来航した年に完成した『守貞謾稿(もりさだまんこう)』という書物には、江戸・京都・大阪で暑い夏に甘酒を売り歩く様子が描かれています。

[『守貞謾稿』に描かれている甘酒売りの様子/所蔵:国立国会図書館]

京都・大阪では1杯6文、江戸では8文(1文=約12円くらい)で売られていたようで、一般庶民も気軽に年中買うことのできる飲み物だったそうです。当時は今みたいに冷房も扇風機もありませんから、栄養のあるものを食べて英気を養うのが暑さによる体力低下への対策のひとつだったんでしょうね。

手軽に買えておいしい甘酒は栄養ドリンクとして江戸時代の人々に人気だったようです!(もしかしたら“はっこまち”さんのご先祖様かもしれませんね)

一夜酒 隣の子まで 来たりけり(小林一茶)

甘酒は一晩でできることから、「一夜酒」との呼び名もありました(『日本書紀』にも記述があるのは先にお話しましたね!)。外で遊んでいる子供たちに、甘酒を飲ませるために呼びかける様子が目に浮かんできますね。江戸時代の子供たちも大好きだった甘酒ですが、明治時代も変わらず人気の飲み物だったということが、明治23(1890)や明治26(1893)年の『読売新聞』の記事からわかります。共に、夏の話題として取り上げられており、貧窮問答歌の時代とは違って夏の風物詩として市民権を得ていたようです。

とはいえ、まだ冷蔵庫などがなく冷蔵保存が難しいため衛生管理が行き届かず、お腹を壊してしまう人もいたようです。だんだんと甘酒売りの数は減っていく一方、正月にお寺で甘酒がふるまわれるなどして、だんだん夏から冬の風物詩となっていきました。

甘酒の 地獄も近し 箱根山(与謝蕪村)

こちらは与謝蕪村による、箱根街道の難所である「大地獄・小地獄」(現在の大涌谷・小涌谷のこと)を甘酒からわき立つ泡や湯気に見立てて、おいしい甘酒はもうすぐだからがんばれ!と道行く人を励ました一句です。

つらい難所を乗り越えるためのご褒美として思い浮かべるほど甘酒は愛されていたんですね。私たちと同じように、優しい甘さと麹の風味に癒されていたのでしょう。自分へのご褒美として甘酒を思い浮かべながら歩く旅人の様子を想像したら励まされてきました。自分への「頑張れ」というエールを込めて、甘酒を飲むことにします!

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