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藤原食品・社長に聞く《中編》納豆嫌いの跡取りが、納豆好きになるまで

藤原食品・社長に聞く

《前編》京都生まれの納豆とは?
■《中編》納豆嫌いの跡取りが、納豆好きになるまで
《後編》京の町でおしゃれに納豆定食を味わいませんか?

京都生まれの「京納豆」をつくる藤原食品の社長・藤原和也さんへのインタビューです。

納豆の作り方や、藤原食品の納豆のおいしさの秘密についてお話をお伺いするなかで、

「実は納豆好きじゃなかったんです」

という衝撃の発言を耳にし、納豆が好きではなかった藤原さんが、納豆屋として生きる選択をされた経緯についてお伺いしました。

大学卒業後、京都から新潟へ

藤原さんが4代目社長に就任されたのは、2013年のこと。

てっきり、大学卒業後すぐに納豆の道に入られたのかと思いきや、今に至るまではさまざまな紆余曲折があったのだそうです。

「実は僕、就活をしていないんです。大学4回生のときに周りがいっせいにスーツを着始めたのに違和感があり、『みんなが就職するから』という理由で働くのが嫌だなと思ったんです」

家業を継ごうとされていたのかとお聞きすると、

「むしろ継ぎたいと思ってなかったですね。そもそも納豆自体そんなに好きではなかったので、両親もそれがわかっていたから自分たちの代で終わらせるつもりだったみたいです」

と、納豆から離れ、別の場所で働くことに決められたそうです。

「在学中の21歳ころからアルバイトとして、新潟のペンションで働いていたので、卒業してもそこでのアルバイトを続けていました。その一方、年末はペンションが少し落ち着くのと時給の良さに惹かれて、京都の老舗味噌屋さんでアルバイトしたりもしていましたね。これが結構楽しくて5年間、毎年お世話になっていました。今になって考えると味噌も納豆も同じ大豆からできるもので、『自分どれだけ大豆を発酵させたもの好きやねん』と思いますね。笑」

自分で選んだ好きな仕事とはいえ、26歳のころに「このままでいいのか?」とこれから先の人生に疑問を抱き、就職活動をしてみることに。

しかし、なかなかうまくいかず……。

「とりあえず家の仕事をしてみよう」と、京都に戻り実家である藤原食品で働き始めました。

「当時は納豆づくりが楽しくなかったんですよ。つまらないなと思ってしまって。それにこれは自営業あるあるだと思うんですけど、他人なら許せることが家族なら許せない。そういうところが我慢できなくて、1年半ほどで辞めてしまいました」

実家を飛び出し埼玉へ

そうして次に選んだのは、こちらも京都から遠く離れた埼玉。

「家業が嫌で上京するってベタじゃないですか。就職活動のときと同じで、みんなと同じというのが嫌だったので埼玉に決めました」

移住するときに持っていたのは1ヶ月分の生活費だけ。

埼玉に引っ越してからの2ヶ月程度は、日払いバイトで日々食いつないでいたのだそうです。

「家電や家具を何も買わなかったので、洗濯板で洗濯して、土鍋でご飯を炊いて生活していました。自分で経験しないと納得しない性格なので、綱渡りのような日々を過ごしたことで、正社員として安定して働くことの必要性というものがやっと腑に落ちましたね」

この2ヶ月間の経験から、このままではだめだと一念発起し、正社員を目指すことにします。

選ぶ際に大切にしたのは「人を喜ばせられる仕事」であること。

そうして考えた時に、自分の作ったもので誰かを笑顔にできる「料理」の道をに進むことを決意します。

「食べることは生きることに繋がるし、同じ食べるなら笑顔になれるほうが良いなと思ったので、食べることに関わる仕事をしようと考えました」

こうして飲食店を運営する会社に就職し、ジャンル問わず「食」に携わっていくことになります。

「イタリアン、スペイン料理、居酒屋……と、いろんなお店で働きましたね。そのなかで『埼玉牛の美味しさを伝える』というのがコンセプトの焼肉屋に配属されたのが、大きな転機になりました」

「埼玉牛って聞いたことないですよね?地元の人も埼玉牛の良さを知らないんですよ。だから、オープン当初は全くと言っていいほど人が来ない。そもそも知らないから、食べてみようと思ってもらえないんですよね。最初の1年は赤字続きで大変でした」

食べてもらえれば絶対に良さがわかってもらえる、とビラ配りをしたり、近隣の方と積極的にコミュニケーションをとったり、埼玉牛を育てている牧場まで行ってイベントを開催したり……。

試行錯誤しながら、まずは地元の人に知ってもらうための活動に力を注いだ甲斐もあって、2年目からは客足も増え、人気店にまで登りつめます。

「安定してきて『知ってもらう』という段階から次のステップを目指し始めた時に、東北の震災が起こりました。自分も含め、働いている人の安全が第一なので、店を開けられる状態でもなく……。計画停電の影響もありましたし、そもそも非常時に焼肉を食べてもらうというのもなかなか難しく、震災後の半年間ぐらいは本当にどん底でしたね」

そのような状況の中でも諦めずに、出来ることをひとつひとつすることで、少しずつ状況は改善。どん底状態からも脱し、お店は再び軌道に乗りはじめました。

その一方で、藤原さんはあることに気づきます。

「まずは知ってもらって、おいしさに気づいてもらうことが必要なのは埼玉牛も、家業の納豆も同じだったんですよね。埼玉牛も最初は誰も知らなかったですが、一度食べてもらったおかげで良さが伝わり、たくさんのお客様に来ていただける店になりました。今なら家業を継げるかもしれないと思い、実家へ帰る決意をしました」

こうして、実家を継ぐという決心を胸に、再び京都に戻ることに。

「一日1人のファンを増やす」が目標

先代社長であるお父様に「好きにして良い」と言われたこともあり、帰郷してすぐは京都の町を散策することにしたのだそうです。

「まずは京都の町を知ることからだと思ったので、ひたすら町中を歩き回りました。いろんなお店にも行きましたね。そこで、うちのことを知っているか聞くと、皆さん『知らない』んですよ。『京都に納豆メーカーなんてあるん?』と逆に聞き返されることもありました」

普通なら「知られていない」ということで少なからずショックを受けるところですが、そこでくじける藤原さんではありませんでした。

「埼玉牛のときと同じで、存在を知ってもらえれば魅力にも気づいてもらえる自信はありました。それに、納豆って大手メーカーさん以外の製造元の名前って意外と覚えてなかったりしませんか?なので『納豆を作っている藤原食品です』と言えば、大体覚えてもらえる。これもひとつの武器になるなと思いました」

このように逆境をものともせず、むしろ追い風に変えようとする姿勢が、今の藤原食品を支えているといっても過言ではありません。

「うちの規模だったら、一日に1人ファンを増やしていけたらいいんです。もちろんたくさんの人に知ってもらえればうれしいですが、まずは一日に1人。少しずつ、地道に知ってもらう活動を続けて、好きになってもらえれば、未来に繋がっていくと思うんです」

埼玉での7年間があったからこそ、26歳のときには気づかなかった納豆づくりの可能性や家業の面白さにも気づくことができたのだそう。

こうして納豆づくりに携わっていくと同時に、納豆を介して「おもしろくて笑顔になれること」をしたいという思いから、藤原さんの挑戦が始まります。

次回は「藤原食品・社長に聞く《後編》京の町でおしゃれに納豆定食を味わいませんか?」になります。 是非ご確認ください♪

藤原食品・社長に聞くシリーズはこちら

藤原食品・社長に聞く《前編》京都生まれの納豆とは? 藤原食品・社長に聞く《後編》京の町でおしゃれに納豆定食を味わいませんか?
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